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教育とは躍動する生命力を引き出すこと [生命の実相]

真海さんと善海さんの朝勉強がはたして善海さんの学力向上のために良いのか悪いのか、ここのところ懸案事項であったのですが。。。

この問題に少し動きがでてきました。

まぁ、動かしたのは愛海なんですが(*^_^*)

仕事を持つ父親が中学生の息子に早朝勉強を教えてあげる、これは一見素晴らしいというか、なかなかできないというか、美しき父親愛のように見えます。

愛海も中学生の勉強は教えられないし、善海さんは塾が続かない子供だったので、父親が勉強をみてくれて内心助かっていたんです。

でも、最近除々に疑問を持つようになってきまして。

愛海が言葉コンシャスになったため、真海さんの言葉が最悪に聞こえるのです。

「今言ったばかりだろう」「お願いだからいい加減に覚えてくれよ。」「わかった?!いい?!」「人の話をよく聞けって」「チッ」「ほら書けよ」「お父さんが言ったとおりに覚えればいいんだって」「なにわけのわからないこと言ってんだよ」「ウンじゃなくてハイだろう」「足をちゃんとそろえろよ」

まるでバカな子供扱いです(-_-;)

善海さんはというと、ほんとに頭の悪い子供っぽく「うん、うん」とうなづきつつ、真海さんの言葉が右から左にぬけていき、それでますます真海さんがイライラして言葉が荒くなるという悪循環。

鼻をかんだりトイレに行ったりして時間稼ぎをする善海さんに、またいらだつ真海さん。←短気なんですね(^^;)

愛海は、中学生にもなった善海さんがよく父親と一緒に勉強するなぁ、と思っていたのです。

でもそれって。。。

父親にバカ呼ばわりされる → バカだから一人では勉強できないと思う → 父親に頼るしかない → でも、バカ扱いされながら勉強するのでバカっぽくなってしまう → ますますバカにされる → やっぱり父親に頼るしかない

↑こんなバッドサークルができているような気がしてきたのです。

真海さんも出社前に息子に勉強に教える時間を割いても、これでは、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるようなもので、息子の成長を望むのか、足を引っ張りたいのかわからないというものです(=_=)

で、愛海が思い出す忌まわしい事件が、離婚した父親(医者)に引き取られた男の子ができの悪い試験結果を父親に知られるのがいやで自宅に放火し、継母及び幼い弟と妹を焼死させた事件です。

世間体を気にする医者である父が息子も医者に仕立てようと家で自ら息子の勉強をみていたそうですが、出来が悪いと殴る蹴るするという荒っぽいやり方だったそうで、息子の反抗心が募ったのは自然のなりゆきでしょう。

善海さんを叱咤しつつ、無理矢理知識を頭に詰め込んで、どこかの高校に押し込んだとしても、善海さんの人生はその先が長いのです。

高校入学が果たせたとしても、コンプレックスの塊のような人格が形成されてしまったらその先の生活で生命力が輝くでしょうか。

そんなこんな考えつつ、昨日また真海さんが「いいから書けよ!」と荒っぽい言葉を使ったので、「命令口調はよくない」「言葉は大切」などなど善海さんもいる前で真海さんに説教めいたことをしてしまいました(-_-;)。

真海さんは不機嫌丸出しで「なんだ、自分だって散々悪い言葉を使っていたじゃないか」と過去の愛海の諸行をなじりましたが、仕方のないことです、事実ですから(-_-)

「私も反省しているし、もう悪い言葉を使うつもりはない」と言ってはみたものの、なんだか、気分がすっきりしなかったのです。

やはり、真海さんがもっと素直に耳を傾ける言葉やシチュエーションを工夫すれば良かったのに愛海が焦ってしまいました。

そんな昨晩、「生命の実相」を読んでいると、不思議と「教育とは?」の懇々と流れるような記載にぶつかり、「教育とは、子供の「今」の興味を引きだし、呼び水を与えてあげること」「勉強とは生命を伸ばす遊戯で実に楽しいことであると子供に思わせるように導くこと」などなど、子供の生命を引き出すことが教育であることがとうとうと説かれています。

「高校生になるまでの我慢」とか「試験が終わるまでの我慢」が勉強であっては、「今」興味あることにはいつまでたっても着手できず、そうこうするうちに、なにかに興味を持つ意欲すら忘れて周囲の言いなりになるばかりの無気力な人間の一丁上がりではないでしょうか。

「今興味を感じること」が、生命の躍動なのですね。なので、それをやらないことは生命力にふたをしてしまうことなので、生きたまま死んでいる状態になってしまうのです。

愛海の母は、愛海があれこれ興味をもって新しいことを始めると「また始まった」とか「一つのことにじっくり集中できない」などとネガティブにとらえて「だからいつまでたってもお前はだめなんだ」みたいな結論に持っていこうとする人なので、今は縁を切ってみて本当に良かったと思っています。← これも新しい試みですね(o^-')b

さて、今朝も5時起きして朝勉強する父子だったのですが、勉強時間終了タイムになると、善海さんから「もう一人で勉強できるから、この時間が無駄だから(父子勉強を)やらなくていいと思うんだけど」とひどく遠慮気味に真海さんの気持ちを思いながら優しく言い出しました。

真海さんもそこまで子供の自由を押さえ込むことはしない人なので、「本当に一人でやるの?」「3学期の成績は大丈夫なの?」と(かなり不安気に)念を押しつつ、一応了解してました。

今までも勉強中断→復活を繰り返してきたので、今回も一時中断程度に考えているのかもしれません。愛海も過去「やっぱりお父さんと一緒にやった方がいいんじゃないの?」と善海さんを信頼せずに余計なことを言ってしまっていたのでした(-_-;)

でも、今度こそ、善海さんが一人でやりとおせる子供であることを心から信じて、善海さんの全人格を200%信頼して見守ってあげたいなと思う愛海でした。


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見た目の幻影にとらわれずに奥に潜む実相をつかむ [生命の実相]

長文タイトルに凝る愛海です(^^;)

前から書いてみたいと思っていたことを記事にしてみようと思いました。

人間は、自分の五官(五感)でもって完璧な世界を見ていると思いこんでいますが、肉体の目にうつる世界はとても粗っぽくて不完全で実相の美しさを正確に表現していないそうです。

なので、頻々に誤解を生んでいるともいえます。

一見しゃきっとした美人・美男でも、冷酷な仕打ちが平気でできる、宿便をためこんだウンコ女・男だったり、ケーキだと思って切ってみたらウンコだったなんてこともザラにあるわけです。

逆に肉眼にはひょろひょろと弱々しかったり、頭が悪そうな人や社会の役に立っていない風の人でも、その人がいるだけで雰囲気が和んだり、愛嬌のある笑顔にいやされたり、バカな仕草に心が温かくなることがあるのです。

目で見ようとするとだまされる

心で感じれば間違いない

↑こんな感じがします。

人間を物質と見て、生産的であるか否かで価値判断する価値基準の背後には、命が有限であると考える地獄思想や自他分離感があると思います。

有限な命が存続するあいだに、少しでも多くを溜め込み、五感で楽しみ、人よりいい目をみることが必須。だからいつも大急ぎで動き回って自分にとって都合のいい人だけを選り分ける。。。

命は終わらず時間が無限にあると思いきってしまうと、目の前にあることすべてが楽しくなってくるのに。

子供など特におもしろい、と愛海は最近子供の素晴らしさにやっと目覚めました。おもしろいというより、もはや、子供は師匠です。

それもそのはず、霊界で一つの修行期間を終えて、地上で新たなチャレンジをしようと果敢に転生して間もない方々なのですから。子供は霊界の記憶もまだ鮮明なので、地上の常識にまみれてしまった大人の師匠です。

うまくいけば、霊界の話しをいっぱいしてくれるかもしれません(o^-')b

人間を、知性や体力で判断しないで、魂力で判断する時代の到来をアセンションと呼ぶのかもしれません。。。


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相手のタイプを見極めてしまえばこわい人はいなくなる [気づき]

「生命の実相」を読み続け、神想観が習慣になってくるにつれ、人の気持ちが痛いほどわかるようになってきました。

とくに、偉そうにしているけれど、実は欠点だらけの人間の情けなさが手に取るようにわかります。

愛海は今までこうゆうタイプに弱かったのです。

威圧的に上から目線でガーッと言われたり、グサっと言われたりすると、もうそこでヘロヘロヘロってなってしまって劣等感にさいなまれる、それでいて、いつまでも恨みを忘れずにイジイジと憎み続けるという暗い人間でした。

本当は、ガーッて言われたときに心の反発力がなければだめなんです。

だから、口答えする子とか、なかなかきかない子は、シュンとなってしまう子よりよほど健全なのです。

愛海は今は威圧的な人間の弱さもよくわかるようになったので、自分ばかりを責めてくよくよすることも減ってきました。

威圧的な親や教師に育てられてシュンとなり続けて成長してしまった大人、または、威圧的なことがいいことだと思いこまされて成長して威圧的な人間になってしまった大人が最悪だと思います。

こうゆう人は学校の勉強がどんなにできても、仕事をそつなくこなしてそこそこ成功しても、幸せな人間関係が結べません。というより、幸せな人間関係がなにかさえわからないのです。

一時的に相手をためなおして言うことをきかせればそれで良しとしてしまうので、自分が好かれていないことに気づきません。

こうゆう人、職場にけっこういるんですよね(-_-;)

大半の人が職場を気詰まりに感じるのはこんな理由じゃないかなぁ、と思います。

それなのに、一日の大半を職場で過ごし、気まぐれな上司だとさらに残業時間を延ばされる、じゃいやになるよなぁ。

でも、愛海が人の気持ちとかタイプがよくわかるようになったからとて、それを人を刺す材料に使うようになってしまっては、今度は自分が刺されるだけだと思うのです。

相手のタイプをよく理解した上で上手に交流する術を得なくては人間力向上を望めません。

昨日街を歩いていて、成人したダウン症の方を見かけました。

薄ら笑いを浮かべてご機嫌そうです。

ダウン症の方々は兄弟のように似ていると言われますが、浮かべている表情も似ています。

そこには、ストレスがなく、我が道をいく的な大らかさのようなものさえ感じます。本人たちは「これが幸せとか不幸せ」とあまり思っていないような雰囲気があります。

これがいいとか悪いという価値判断をしない子供がのびのびと行動できるような幸せな表情が彼らにはあるのです。

愛海もヨガの仕事をやりたくなければ日数を減らしたり、曜日を変えたりしていますが、参加する皆さんは楽しんでくださっているようです。そこには、参加義務日数もなければ、欠点を指摘されることもなく、「カラダがカタイからといって自分を否定しないでくださいね」の愛海リードがあるのみです。

愛海は基本的にほめることしかせず、明らかにポーズが違っていれば当の本人も笑えるように笑いながら指摘します。

生徒を増やす努力もまったくしてません(^^)

結局、縁のある人しか集まってこないですから。

あぁ、今日はなんだかとりとめのないひとを書いてしまったなぁ。

と言いつつ、

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センチメンタルな愛情と地獄食品の類似性 [夢の啓示]

今朝方の夢の啓示ははっきりと覚えています。

タイトルのごとく、「センチメンタルな愛情と地獄食品が類似している」という啓示でした。

やすっぽい優しさや不健康食品は肉体人間を甘く魅了しつつ、どちらも人間を内側から蝕んでゆくものです。

夢には、愛海の記憶にある老女がちらっと登場しただけなのですが、そこから愛海の思い出が蘇りました。

何年か前、愛海がまだキリスト教の教会に出入りしていた頃、牧師館が火事に遭い牧師が焼け出されてしまいました。

ホテル住まいも出費がかさむので、新しい住処が見つかるまでのあいだということで、愛海の知り合いの不動産屋に頼んで適当な部屋を探してもらいました。

丁度近所に住む老女の家の2階に小綺麗な部屋があいているということで、火事に遭われなんと気の毒なことでしょう、ただ部屋を遊ばせておくのももったいないので家賃3万円で喜んでその部屋を貸しましょう、ということになり、牧師が少しずつ荷物を運び込むようになりました。

この老女は親から財産を相続した当時、不動産やら現金やら億単位の資産を持つ資産家だったそうですが、たちの良くない友達に誘われるままに海外旅行を繰り返したり、人から言われるままにラグジュアリーな物品を購入するなどして散財し、次々と不動産を手放した挙げ句、とうとう自分が住む家だけが残り、その家すら借金のかたに一部不動産屋が管理するという有様でした。

でも自宅にはまだ高価な骨董品やら家具やらが残っていて、出入りする手伝いの女が老女に聞き心地の良い言葉をささやいては、高価な物品をせしめていたようです。

そこに骨董品も散在する老女の2階を牧師に貸してしまったわけですから、自分の取り分が減ると考えた手伝い女が老女にささやきました。

「宗教関係者になど部屋を貸したら怪しい集会を始め、部屋を返してもらえなくなる」と。

老女はいつも自分を気持ち良くさせてくれる女の言葉を真正面から信じて、また、家族のいない自分からその女が去ってしまうことを恐れて、「私の家だ、出てけ~!」と人が変わったようにすごい剣幕で不動産屋に怒鳴り込み、もともと、仮住まいで正式な契約もなかったのが災いして、牧師はすごすごと立ち退くことになってしまったのです。

ほくそ笑んだのは手伝い女。小柄で狡猾そうなたたづまいの中年女性を見かけたとき「この人だ!」と直感させる雰囲気がありました。

老女は、しばらく貸していたら3万円を稼ぎ出してくれたその部屋から焼け出された牧師を追い出すという非情を行為に手を染め、自分のわずかな不動産を管理してくれている不動産屋からは信用をまったく失い、口が達者な腹黒い女との蜜月を楽しみつつ、無一文になる日をじわじわと待つのみの哀れな環境に再び陥ってしまったのでした。

「生命の実相」的に解釈すると、「類は類を呼ぶ」の法則にしたがい、老女の心が醜悪な環境を引き寄せているのでしょう。

今朝はちょっとダークな昔の出来事を思い出してしまいましたが、老女とだぶらせながら夢では「そうゆうことなのだよ」と教えてもらったのでした。

五官を通じて感じる悦楽(表面的な優しさや口当たりのいい地獄食品)に身を任せきっていると、気づいたときには身ぐるみはがされている、そんなことにならないように心を研ぎ澄ましていたいものです。



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不機嫌とは怒っていること [気づき]

昨日は2才の坊やの託児をしました。

たった2時間のお仕事ですが、もし大人が見ず知らずの人と2時間過ごさなければならないとしたら、すごく苦痛なはずです。

でも、幼児の場合、幼児の方から心を開いてくれるので、初対面のお子さんでも一緒に過ごすことができるのです。

もうすぐ3才になろうとする坊やは、お兄ちゃんがいるせいか、言葉や文字に対する関心が高く、語彙が豊富な楽しいお子さんでした。

「タクシーかいて」と言うので、愛海が色鉛筆でタクシーを描き、タクシーの中には笑った犬や猫が乗っている絵を描いてあげたら、

「笑っているねぇ!」と嬉しそうです。

もう一台タクシーを描くと今度は「笑った猫と犬ものせて」のリクエストが(^^;)

その子は「怒ってない? 笑っている?」に敏感なようでした。

絵本を読んでいると「この人は笑っているね」「怒っているね」と絵の表情で感じ取っていきます。

絵本の中に、怒っているわけではないけれど、口を真一文字に結んだ不機嫌な顔の男が登場しました。

その子が「怒っているよ!」ととっさに判断したとき、

あ~~~っと愛海は思いました。

たしかに怒っている

不機嫌ということはすでに怒っていることなんだ、とすごく腑に落ちました。

子供の感性には曖昧に濁すことがないのです。大人には中間のようなグレーな感情があって、「えっと、そのですね、できればこうして頂けたらこちらとしましても大変やりやすいわけで」みたいな持って回った表現をしつつも、本性では怒っていたりするのです。

その子は最初に愛海に会ってお母さんから「この方が面倒みてくれるのよ」と言われたとき、「やだ!」と率直に言いました。

「できれば僕はお母さんと一緒にいた方が好ましいわけで、失礼ながら初対面の人とは窮屈なわけです」なんて持って回った言い方をしない(^^;)

「やだ」と言いつつ、次の瞬間は素直にお母さんを離れるあたりもおかしいのですが。

子供は自分の感情を大切にしつつも、周囲の事情もちゃんと理解してくれている、なんて優しくも賢い存在なのだろうと教えられること多きお仕事でした。

さて、愛海の断食は昨日総崩れしました。

朝はジュースいっぱいで出発したものの、お腹の調子が良くなってきたお昼になるとトースト一枚を口内炎ができていない方向から口につっこみつつ、バナナ豆乳こしあんスムージーという重いスムージーをたっぷりと飲み干し、夜はご飯3杯食べるにいたっては、どこがリキダリアンだちゅうねん!

お腹の調子と口内炎が同時進行的に回復に向かっているので、このような暴挙ができてしまうわけですね。

意地汚いことこの上なし(-_-;)

さてさて、「食べなくても生きていける」境地にはどのようにたどりつくのであろうか。。。



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神様から命じられた断食 [人体]

マイカテゴリー「人体」としてみましたが、人体とは「霊体」のことだと思います。

人間は肉体ではない、「肉体なし」と観ずる「生命の実相」読者としては、人体ももちろん肉体ではなく霊体とみるべきですから。

さて、霊体としての人体の異常はどこからくるかと言ったら、やはり、魂・心・気持ちといった思考系統からやってくると思います。

思考の誤りが人体に異常をきたすのです。

で、どんな誤りをおかしているかといったら、「人間は食べることで生命維持をはかっている」という思考だと思うわけです。

さて、口内炎と胃腸の気持ち悪さのダブルパンチで、はからずも断食状態にある愛海ですが、昨日はほぼ液体だけで過ごしました。

朝: 人参りんごジュース一杯  昼: みかんジュース一杯と具なし味噌汁一杯  夜: りんごジュース一杯

この間、往復30分徒歩で学校のPTAに出掛けたり、家では調理しまくったりと、活発に活動していました。

きたるリキダリアン生活に向けて、家中に残存している食材を調理してしまおうということで調理しまくっていたわけですが、玄米を炊いたり、小豆を煮たり、ココアやごまプリンを作ったりと、圧力釜がフル回転していたのでした。

昨晩は一生懸命宿便がなす悪さについて考えていたのですが、

やみくもに食べて宿便という「原因」を作る→ ウィルスという「縁」に触れる → 口内炎や胃腸の気持ち悪さという「結果」を引き起こすというサイクルがみえてきました。

なので、宿便をきれいに洗い流そうという意欲を作ってくださったウイルスさんも口内炎さんもまったく悪くないどころか、感謝すべき存在なのです。

ただ、宿便のたちの悪さはこれぐらいではないと思っています。

「生命の実相」では、霊媒がよくはたらけるように午前中は霊媒がお腹に何もいれないようにという指示が高級霊からくだるお話がでてきます。

胃腸内の食物と霊能力との関係を示唆するお話だと思います。

イエス・キリストはなぜ40日間も断食したのか、これも、愛海がずっと気になっていることです。

30日間の断食を実行された経験をお持ちの自力整体の先生は、その言説が現代科学の領域を超えていて、ものすごい少食を奨励されていらっしゃいます。

胃腸に食物を入れてしまうことで、なにか、霊的な不協和音が生じてしまうのではないか?

霊界からの通信を受信するための受信機としての機能が、胃腸内の食物で妨げられるのではないでしょうか。

愛海の理解はこの辺までたどりついてきました。。。

今日はこれから託児のお仕事に行ってきま~す♪



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ウィルスと仲良くして運命改善する [平和]

舌の右側に巨大な口内炎ができています。

しゃべるのも辛いほど、ご飯粒2、3粒口に入れてもひぃぃっと痛みます。

今回の口内炎はウィルス性のようで、食欲なく、寒気がします。

って、風邪ひいたんじゃん!(^^)!

ええ、いわゆる風邪だと思いますが、愛海はこの時季このような理想的な風邪をひいたこと、ウィルスさんが愛海の体内に入ってくれたことに感謝しています。

奇しくも「人間は食べなくては生きられないのか?」の記事を書いたばかりで、愛海は、今度ばかりは真剣にこの食の問題に向き合いたいと思っていたのです。

その前にプチケミカライゼーションがおこり、いわゆる食通の友との縁が薄くなりかけたことも、愛海の食べ歩き癖を見直すきっかけとなりました。

今、固形食物を口に入れただけで激痛がおこります。

以前ならおなかがすくので口内炎の痛みをこらえてさえ食べ続ける意地汚い愛海でしたが、今回は、胃腸をウイルスさんが席巻しているらしく、お腹もすかないので食べる気にもなりません。

このどちらかが欠けていると愛海は食べてしまうのです。

つまり、おなかがそれほどすいていなくても、口内炎がなければ、「家になにかないかなぁ」と思って食べるのです。

口内炎ができても、おなかがすくと痛さをこらえて食べるのです。

だから、痛くて食べられない、おなかもすかないという状況が理想的なのです。

おまけに、しゃべると痛いから余計なことを言えないという「おまけ」までついています(^^;)

この恵まれた状況を利用しないという手はありません。

口内炎と食欲不振が続くあいだに、超少食の習慣をつけてしまおう。

願わくば、ジュースだけで生きていけるような体質を。

実際、世界には何万というリキダリアン(水分だけで生きている人)が存在するそうです。

たしかにこれだと、消化活動に血液がほぼ使われないので体内のエネルギー備蓄量は大幅に増えるでしょう。

それに、お腹がふくれないので、肺の体積が増えて、呼吸も深くなります。

呼吸が深くなれば、空気中の生命を大量にとりこめるのでますます食べずに済むという循環ができてきそうです。

目指せ、リキダリアン!

さて、昨日は善海さんが財布をなくしました。

なくしたといっても家の中で紛失しただけなのですが、遠距離での部活に出掛ける前にスイカを入れた財布がないと騒いでいました。

以前の愛海なら「だから、財布を置く場所を決めておきなさいって何度も言っているでしょうが~!」と気もふれんばかりに怒りわめいていたのですが、

昨日はなんと「財布はいずれ出てくるから切符代をもっていきな」と穏やかに言って小銭を渡してあげました。

善海さんはちょっとホッとしたように、また、時間もなかったので小銭を握って家を飛び出していきました。

子供があせってあわてているときに親まできいきい言うと、そこにどす黒い不協和音が発生してしまうのです。そして、子供の心にはヒビが入り、それが積み重なっていつの日かわけのわからない問題行動に姿を変えてしまうのです。

財布はみつかって、今朝は、善海さんが朝食のあと「ごちそうさま」と言いながら愛海にちょこんと頭を下げました。

ほんのささいな仕草ですが、その中に善海さんの「お母さん、昨日はありがとう」のメッセージを感じ取りました。



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余計な一言が運勢を悪くする [内省]

明け方の夢では真海さんを思い切りせめていました。

夢の中で、善海さんが善意でしてくれたことを「余計なことをした」と怒りまくる真海さんの勢いを上回る勢いで愛海が真海さんのカラダを押しながら「どうして善海ちゃんの気持ちがわからないんだ」とすごい剣幕で怒っています。

愛海は時々母に言えなかった思いの丈を夢の中で母にぶちまけていることがありますが、これとすごく似た夢でした。

さて、目覚めてキッチンに向かうと、先に起きていた善海さんが食器をきゅっきゅっとふきながら片づけています。

昨晩は、洗った食器は積み重ねたまま、ご飯を炊いた土鍋にいたっては「朝洗うのいやだなぁ」と思いつつ放置して寝てしまったのでした。

その土鍋まできれいに洗って積み重ねてあり、キッチンまわりがさわやかに片づいているのです。

以前はどんなに「手伝って」と言っても「疲れている」とかなんとか言って手伝おうとしなかったのに、「洗って」と頼んだこともない土鍋まで早朝洗ってくれています。

「否定がましい言葉を使わない、内心でも子供に120%の信頼をおく」

善海さんに対して心がけていることはこれだけなんですけど、これだけでも子供が随分変わるものだなぁ、と実体験してます。

愛海の心が少し清まったので、それに感応した善海さんが、ごちゃごちゃしたキッチンまわりが気になって自ら片づけたのかもしれません。

対子供関係では、ここのところなかなかうまくいっている愛海が考え始めたことは、この関係を一般の人間関係にも使えないかなということです。

たとえば、上司と部下の関係で、上司が部下を120%信頼してくれたら、部下は喜々として期待以上の仕事をしてくれるのではなかろうか。

以前の愛海が会社で上司の立場になったら、部下を信頼できなくて、仕事を全部一人で抱え込んで自分でチェックしないと気が済まないタイプだったと思います。そのくせ部下には「俺(私)ばっかり大変でよぉ」みたいな不平たらたらのダサイ上司になっていたことでしょう。

でも、部下を信頼できれば、自分の仕事が減るばかりか、職場の人間関係も急速に改善されるでしょうから、そこに職場天国が現出するというものです。

恋人関係では、「彼(彼女)が浮気してないかしら」と疑心暗鬼になって関係がぎくしゃくしてデートしてもちっとも楽しくない関係から、「何をしても信頼しているよ」と言って(思って)もらえるだけで、すごく気持ちが解放されて、逆に「この人のためなら何でもしてあげたい」となるのではないでしょうか。

こう書くと、でも、職場でも学校でも「どうしても変な人っていますよ」って言われそうですが、そーゆー人も大丈夫(o^-')b

変な人の変なところは見ない、ひたすら無視する、そして「その部分はほんとうのあなたじゃない」と言ってあげる。

ポイントは、変な人の変なところが嫌いなだけで、変な人全部を嫌いなわけではないことを丈夫に伝えることだと思います。

嫌われたと思って傷つく場合、全人格が否定されたと勘違いしてしまうのです。

言葉の大切さをだんだん理解できてきた愛海ですが、どうもまだ余計な一言を言っているような気がしてなりません。

その一言が周囲の誤解を生み、紛らわしさを生み、愛海の環境を悪くしているのです。

心の「明快さ」が足りない愛海の心にはまだ「濁り」や「迷い」が浮遊していそうです。

この有害浮遊物をうまくすくいとれたらまた一歩澄んだ境地に到達できそうな、よ・か・ん♪

さて、当ブログの右サイドから「僕アニ」紹介を削除した理由ですが。。。

僕アニサイトでも「僕アニを卒業できる人は卒業してください」と言われているように、愛海も卒業しました。

僕アニを必要としている人はいっぱいいらっしゃると思います。

愛海は、自分の神様とつながりたい欲求が強いタイプなので、僕アニを読むと二元論的になって混乱するようになってきてしまったのです。なので、愛海的にはもはや僕アニを推奨しませんということなのです。

僕アニと出会えたことには感謝しつつ、僕アニ必要としている方は僕アニと出会えますように!


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あと一歩で新境地に到達できるのかも [内省]

ここのところ、プチ不快な出来事が続いています。

これもプチケミカライゼーション(悪の自壊作用)だと思っておとなしく受け止めています。

ここで憤慨したり、相手を非難したり、不機嫌になってしまうと、新たな悪因縁を作ってしまうことになり、そうすると、また将来のケミカライゼーションの種を作ってしまうので、こうゆうときは、おとなしく啓示を待つ他はないのです。

それで、啓示を待っているのですが、なかなかきません(^^;)

でも、この段階を超えると、新境地が待っている、そんな予感はヒシヒシとあります。

なので、もうちょっと気長に待ってみようと思います。

この「気長さ」がネックになているような気もします。

最近愛海のヨガクラスに入会してくださった方で、●●医院の奥さんがいらっしゃるのですが、ちょっと手強い感じがしたのです。

なぜって、社会に「医者と弁護士ほど不必要な職業はない」が愛海の持論ですから(^^;)

医者がいるから病気になる人が出てきて、弁護士がいるから紛争を起こそうとする人が出てきてしまうのです。

医者はさらに薬なんていう余計なものを売りつけたり、人間に病名をつけたり、肉体にメスを入れる手術などという犯罪行為にまで手を染めているので、愛海的には許し難い存在なのです。

しかし、悟りを開いた高徳な人物というものは、弟子に病気症状が出たとき、「医者の職業を奪ってはいけない」という理由で役に立たない医者をわざわざよんであげたりするものですから、愛海が、きぃきぃ言うのは、まだまだ低レベルだと思います。

さて、その奥さん、先日は「先生マスクをお使いになりませんか」と言ってお土産に自分ちの医院のマスク50枚入りの箱を持ってきてくださいました(^^;)

使わないっちゅうに。。。

そして、他の生徒さんとの会話の中でも「ウチの薬はいいのを使っていてよく効くから、今度持ってきてあげるわ」なんてお話されています(-_-;)。

でも愛海のヨガは気に入ったみたいで、「これは腰によくきくわ~」なんておっしゃっています。

ヨガか薬かどちらかに決めなさいって(^^;)

きっとこうゆう方にこそ「気長に」接していくことが必要なんでしょうね。

啓示のヒントの一つには「食を正す」も含まれているような気がします。

愛海気づいたのですが、食を正すと、付き合う人間の顔ぶれもガラッと変わったりすることです。

「今度●●食べに行こうね~」と言い合っている友人も、「●●」を愛海の食生活からはずしてしまうと、その友人との付き合いも意外とスパっとなくなってしまう気がするのです。

不健康な食生活とつながる不健全な友人関係。。。

この場合、友人が不健全なわけではなくて、不健康な食を介すると、関係が不健全に陥りがちということです。

なので、「付き合う顔ぶれ」というより、「付き合い方」が変わってくると言った方が適切でしょう。

ここまで書いてきて、あっ、啓示はすでに頂いたかも、と思った愛海でした(^^)


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人間は食べなくては生きていけないのか? [ローフード]

夢の啓示を得ようとして枕元にメモをおいて寝ましたが、見た夢ではバッグをなくして探し回るばかり(?_?)

啓示らしきものはありませんでした。。。

それにしても、金曜日の飲み会から体調がどどっとくずれています。

表面的には元気そうなのですが、内部的にあちこち不調を感じます。

アルコールと揚げ物、肉、わけのわからない添加物。。。

これらが愛海の肉体を蝕んでいるようです。

口内炎ができる、カラダのあちこちがかゆい、ひどい便秘になる、おなかのふくらみが胸を圧迫する。

人生を大切に思うなら、食べ物一つ一つ吟味しなければならないと今更ながら思います。

愛海の場合、食べようと思うと食べすぎるので、「食べなくていい」と思うぐらいで丁度いいような気がします。

食情報を求めることもよくないなぁ。飲食店情報を検索することはもうスパっとやめようと思います。

思えば、現代人は、病気になるために食べているような気がします。

添加物まみれの食品を発色剤たっぷりの美しい写真に騙されて、誘蛾灯に吸い寄せられる夏の虫のごとく体内に不必要な有害食品をせっせっと体内にとりこむ現代人。食料余剰国の現代人とは「食ボケ」の代名詞かもしれません。

まるで、観光客が捨てたビニール袋を食べる宮島の鹿のような哀れさです。

デパ地下の食料品売場など、まさに人間の視覚に訴えた商売です。視覚と味覚がダイレクトに刺激されて本来なら疲労困憊するはずが、大量のショッピングという結果につながるのですから、まるでマジックのようです。

五官という肉の部分ばかりが働いてしまうと実相が見えてこないのです。

「生命の実相」には、消化器官がはたらかず、食べると吐いてしまうおばあさんの話しがでてきますが、そのおばあさんが「生命の実相」を読んで、「食べなくても生きていける」と悟り、無理して食べようとしなくなったときから、猛然と生命力が輝きだし、食べても消化できる元気なカラダになったお話があります。

「食べなければ生きていけない人間」ととらえることがすでに地獄思考なのです。

食べない方が元気でいられるのが人間の実相なのではないでしょうか。

「食べる」という発想がいけないのです。

「生命力を取り込む」←これが正しい発想でしょう。

生命力を取り込むなら、瞑想してプラーナを取り込むでもよし、ローフード(生きた生命)を取り込むでもよし、とにかく「食べる」以外の発想を持つことが大切な気がします。

食べすぎておなかを常にぱんぱんにしているので骨盤が歪み、腰が痛み、肩が凝る、頭蓋骨もゆがんで目が悪くなる、気の流れが悪くなる、こんな構図があるのかもしれない。

食からの人類の解放、こんな日がきてもいいかもしれない。。。


生命の実相―頭注版  (第1巻)

生命の実相―頭注版 (第1巻)

  • 作者: 谷口 雅春
  • 出版社/メーカー: 日本教文社
  • 発売日: 1962/05
  • メディア: 単行本


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